ずっと憧れだった。
ずっと目指して歩いていた。
いつかの時はここに来ることを最初から諦めていた。
ここが一つの「到達点」であり、まだまだ先がある「通過点」
学生の頃、授業で聞かされて「きっとそこに至るのは無理だろうけど、いいな、素敵だな」と思っていたものに到達しました。
初めて聞いた時には前述の通り「無理」だと思っていましたが、近年は「このままだと至れるんだなぁ」と思うと同時に「果たして、あんなに憧れていた学生の私が””素敵””だと思えるところに辿り着けるのだろうか?」と思ったものです。
いや、「辿り着ける」のは当然として、「素敵な場所に辿り着けているか」にずっと首を傾げ続けていました。
今の私は、正直めちゃくちゃでぐちゃぐちゃな気持ちを抱いていて、その他にも色々と考えると「素敵」とは言い難い人間だなと思う次第です。
身の回りには、私よりも素敵に毎日を暮らし、素敵な未来を得るために日々邁進している、そんな友人知人がいる中で、自分はまだまだだと思う日々です。
そんな中で、ただただ「惑わずにいられるか」ということだけはずっと考えていた。
学生の時に「素敵」だとこの「点」のことを思えたのは「道を迷わないなんて素敵だな」と思ったのが始まりで。
当時はそもそも生きるか死ぬかを迷っていた時期だったので、そんな生き死にどころではないレベルで道を進んで行けるなんてすごいことだと思ったものです。
なにぶん、その頃にはもう「道は全て繋がっている」という座右の銘があったために。どれだけ迷っても、惑っても、必ずいつか、辿り着きたい場所に辿り着けると。間違いの道なんてないんだと。
そう思い始めた頃に出会った「点」だったんですよね、この「到達点」は。
蛇足ですが、「道は全て繋がっている」は学生当時に機械翻訳にかけて略して「lsect」としています。
だから、「素敵」とは言い難くとも「惑っていない」と言えるかどうか。
これはかなり真剣に昨年あたりからずっと考えていたもので……
結論「迷うことは稀にあれども、まあ概ね……」……「迷う」「惑う」って何が違うんでしょうね(急)
惑う(自五)
1:平常心(初志)をかき乱すような事に心を奪われる。
2:どうすればよいか(どちらへ進むべきか)分からないで、ただおろおろする。迷う(自五)
1:決断がつかないで、ぐずぐずする。
2:行くべき方向が分からないでいる。
3:(心を奪われ)まちがった方向に進む。
4:死者の霊が成仏出来ないでいる。―――新明解国語辞典[青版](第八版)
「迷う」ことはあるけど、「惑う」ことは、まあ、ないか―――?
多分きっと恐らく、そう言っていいかもしれません。私の中ではもう住む世界が違うと思った人のことは私にはどうしようもない事だと思わざるを得ないし、自分と言うものを持つときは自分で立っている必要があり、そうするとたとえ心許なくても自分なりに生きて行くしかないと、まあ、割合もう思っているので……
もちろん!
今こう思っていても、価値観と言うものはいつだってアップデートすべきだと思っているので、「ここでおしまい」なんてことは思いたくない。思いたくないから、たまに迷うことはあれども、そのたびに「私」は、「霜川月」は、最初にどう思っていて、今もなおその思いに従いたいか、と言うのは考えている。
そう、個人的に恩師と思っている学生時代のとある先生のことを「人生の終わりの時に在りたい理想の姿」だと、ずっとずっと、そう思い続けている。
あの先生に「言われたこと、やり遂げれませんでしたけれど。私は先生のことが憧れで、たぶん同じように在れたと思いますよ」と言えるような道を辿りたいと思っている。
そんな思いに今なお「従いたい!」と思っているので、ここからまたしばらくの道をどうするかって考えながら種まきを始めている。
だから、多分、今この地点が「到達点」で「通過点」。
もしかすると「今思っている終着点」から道が逸れることがあるかもしれないけれど「道は全て繋がっている」から、これが私の惑わない道。
これからも、自分が信じた道を歩いていきたいなって思っています。
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