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「受けるよりも与えなさい」

2025-11-29

あなたがたもこのように働いて弱い者を助けるように、また、主イエス御自身が「受けるよりは与える方が幸いである」と言われた言葉を思い出すようにと、わたしはいつも身をもって示してきました。

―――新約聖書 使徒言行録20:35

己が随分と道に対して弱くなったと息を切らせながら辿り着いた先、最終目的地の真向かいにある広場に佇む姿を見て「もしかして今回が当番?」と思った。実際にそうだった。そう言えば、何年か前に「計算がこのまま合うなら、ここで””うち””なのか」と思ったことをぼんやりと思い出した。
懐かしい姿。最後までやりきれなかった、弱かった自分を思い出す姿だ。今でも弱いけれども。

“”うち””の一番上に立つ人がお話の担当だった。
進行は私がここへ来ることになった切っ掛けの人。そうだった、最初はただ、ご飯が食べられるというのが切っ掛けだった。ご飯を人と食べられることがうれしかった。いつしか、この場所に来ることはあの頃の私にとって自分を顧みる場所になっていた。昇り出した太陽の光の中、息が上がって火照った身体を冷たい空気が冷やしていく時間。最終的に知らない年輩の方がなんか色々言っているな……と言うのをよそに「今の私はなんだろう」と考える時間。

それが、この場所。

そもそも来なくてもいい場所だ。
それでも未だあの頃の私の習性が残っているため、人生を見つめたいと思った時に来たいと思う場所。
本当に2025年は何かの導きの様な采配を感じる瞬間が多かった。これもまた、その内のひとかけら。


本当はこの記事を書くつもりはなかったのですけれど。
あまりにもそれはちょっと不味いなと思いまして。書くことに……なった……不思議だ。

記事タイトルは「私」のことをご存知の方は分かる通り、お話の表題。

最初は「今日この日」に相応しい話から。
そう、「今日この日」なんだよな……と前週のお出掛けのことを思い出しながら聞き始めていました。たぶんそう。きっとそう。なんかメモには「出だし何だっけ???」って書かれているんだけど。まあ、どう考えても出だしはそれしかないです。前週に引き続き、まあ、そう言う話になるよね~……とぼんやりしていたのでしょう、話を聞かずに己の思考を巡らせるのをやめた方がいいぞ。

話はこの場に集った人たち共通で分かるところから、個人的な話へ。

その人が昔所属していた団体で、泊りがけの勉強会が行われたらしい。
勉強会のテーマをどうするか意見を出し合い、最終的に「命」という普遍的だが難しいことがテーマになったとのこと。そうして、ご自身で考えた命に纏わる話が始まり……
「受けるよりも与えなさい。つまり、善を為しなさいということですが」
たぶんきっとおそらくめいびー、こういう感じだったと思うのだが……メモはもっと断片的で仔細は良く分からないのだが……とにもかくにも、「善を為したい」と考えるご自身がいるのと同時に―――
「善きことをしたいけれども、悪の心もあります。あるんです」
というところへ接続していった気が(略)。ちなみに、これを聞いていた当時の私はべしゃべしゃになっていた。何故かタイムリーに人間関係ってなんだろう~……ともにゃもにゃになっていたからなんですが。とにもかくにも、そんな善悪の話が合って明確に覚えてメモられていたのが以下。

「あるがままを受け入れ、進んでいく」
「悪いことをしているかもしれない。でも、それでも前を向いて歩く」

この話が本当に心に突き刺さっており、どうしようもない気持ちを非公開の場所にメモ書きしていた……のを、急に突然出してきたのであった。FGOのために。何故?


非常にどうでも良い話なのだが、実はここに来ると貰えるちょっとしたお土産がある。
が、なんか一瞬でなくなったらしい。なくなった理由がちょっと悔しいので「こんな訳わかんないやつが期待して来たりするんだから残しててよ~!」になりました。く、悔しい~!
「今日この日」の牛乳パック栞欲しかった~~~!!!

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